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【受賞インタビュー】#1 広告カンパニー大賞

チームで仕事をする。それだけに、熱中し続けた7年間。

新屋 守人

2013年12月入社、オンライングロースセンター 責任者
2013年中途入社、インターネット広告事業部、SEMに配属。
2014年にはマネージャー昇格、アドテク事業部責任者を努め、2018年よりアカウントプランナー組織の責任者就任。
2020年「広告カンパニー表彰式」にて広告カンパニー大賞を受賞。
※約500人の社員でもっとも活躍した社員に贈られる賞

2020年「広告カンパニー表彰式」にて広告カンパニー大賞を受賞した新屋。
未経験で入社から表彰されるまで、チームに熱中し続けた組織へのこだわりをインタビューしました。


-まずは経歴を教えてもらえますか

シーエー・アドバンスに入社する前は全然違う業種で、工業高校を卒業して空調や電気の配管工事をやっていました。
当時、他社の選考も受けていて、未経験だけどエンジニア志望で選考を受けたのも今では懐かしいです。落ちましたけど、23歳だったのでなんでも出来るっていう謎の自信だけはあったんですよね。(笑)
SEM事業部に配属後、昔はサテライトグループっていう育成のチームがあって、全員そこに配属されそこでの研修に合格しないとメインの事業部に配属できないのですね。
結局自分は合格できなくて、サポートチームに配属になりました。
当時はタイピングすら儘ならなくて、働くスタンス含めてポンコツでしたし今振り返ると何で入社出来たんだろうって思いますよ、本当(笑)

チームで仕事をする
楽しさと苦悩に熱中し始めたのが人生の大きなターニングポイント

– 未経験で入社してからものすごいスピードで活躍し始めましたよね、マネージャーになってから大きく変わったきっかけというのはなんでしょうか?

当時のSEM事業部のサポートと呼ばれるグループは3つのチームに分かれていて
そのうちの一つに配属していましたが、他のチームのリーダーが新しく事業部を立ち上げることになり異動。畳みかけるように3つを統括しているマネージャーが異動になりました。その時に自分に声がかかったんですよね。何というか覚悟が決まりました。
そこからは自分が目標~計画を作らないといけなくなり、SEMのことを全くわからないメンバーや、更にはベトナム移管プロジェクトもあったので海外メンバーも育成することになったんですね。

そして1年経つ間もなく、SEM事業部のディレクター組織の立ち上げマネージャーをやってくれと声が掛かり、その半年後アドテク事業部の責任者に抜擢されたのを覚えています。

目まぐるしいスピードで変わり、正直すごい不安でした。
当時は見るプロダクトもとても多くて、誰もわからない状況でしたし
サイバーエージェントグループの子会社の社長陣と運用設計をするために、ほとんど出張で沖縄にいませんでした。
だから机がなくて、他の事業部の社員のキャビネットを借りてデスク替わりにしてたくらい忙しかったです。(笑)

でも、リーダーに抜擢された頃から、仕事の本当のやりがいに気が付いた気がします。

今までマネジメントなんて考えたこともないというか、そんな言葉に触れたこともなかったんですよね、この会社にはいるまで。

難しかったというか、シンプルに自分はプレイヤーとマネジメントどっちのほうが成果がでるのかな。って思ったんですよね。
プレイヤーをやるということは、今いるエグゼクティブプレイヤー達がいて、そのメンバーと同じ土俵で戦わないといけないじゃないですか。本当に尊敬する方々で、正直それは無理だなと思いました。
それだったらマネジメントを目指した方が成果が出やすいだろうなと思って、声を掛けてもらったときに決断したんです。そしたらもっと成果がでなかった(笑)
甘かったですね、もっとレベルの高い職務でした。

僕自身、自分が自分のためにというスタンスだったんですよね。
それがチームを持ったことによってチームの為にとか、メンバー個人の為にとか。お世話になった方々にとか事業部のためにって考えが変わっていった。
そして一番大きかったのは2018年に新規事業として立ち上げたオンライングロースセンターで、一緒に戦ってくれるCyberACEの西島さんです。考え方や接し方すべてが
本当にサイバーエージェントカルチャーを体現していて、それが自分にすごくマッチしていたんです。話してくれることの意図や背景がスッと入ってくることがとても多くなった。
上手く行かないときってめちゃくちゃ怒られるんですけど、その後のアフターフォローがすごい。(笑)
人間力が本当に高くて、とても尊敬しています。

▼オンライン表彰式の様子

苦節7年、目指し続けてきた「チーム」で評価されたという手ごたえ

– 今回、広告カンパニー大賞を受賞しましたが、組織づくりで大切にしていることや価値観を教えてください。

正直言うとこの賞を視野にいれてませんでした。
この7年社員総会で表彰されたこともなかったし、本音を言うとチーム賞をずっと狙っていたんです。
僕は1人では出来ないことが多くて、それでも出来ないことをメンバーが補ってくれて、
メンバーができないことを僕がやって、そういう関係性や一体感があるのがこの事業部、会社の本当に良いところだと思う。
色々な組織がある中で一番成果が出たっていう定義は難しいと思いますし、そんな中で
最後の賞に自分の名前が挙がった時、このチームが評価してもらえた!って本当に報われました。

組織づくりって、何が良いとか正解がないから難しいし楽しいですよね。
自分が意識しているのはメンバーが自発的に意見してくれる環境づくりはすごい意識してるかもしれないです。自発的にならないと仕事って楽しくないし、環境や誰かに責任転換しちゃうじゃないですか。
だから、メンバー一人ひとりが自分の意見を言えることを大切にしています。
あとは、西島さんがファミリーって言葉を使うんですよね。
東京、沖縄、ベトナムにいるメンバーがそういう意識で全員仕事をしているのでとても強い組織だと思います。

普通7年かかって成果を出せないって会社辞めるじゃないですか。(笑)
僕はシンプルに会社の人に救われ続けたんです。うちの会社は人がめちゃくちゃいい。
誰かのために。それが組織のために会社のために、沖縄のためにって伝染していく。
僕が続けられるのはその途中だと思っているからですかね。

業界地図が変わる瞬間を、一緒にこの目で見届けたい。

−2年前初めて、沖縄にオンライングロースセンターのアカウントプランナーチームが出来ましたが、これまでの組織立ち上げと比べてどうでしたか?

アカウントプランナーとは、クライアント様の案件においてプロモーション全体の戦略立案プランニングから運用までのディレクションを担うので、よりクライアント様と密なコミュニケーションの頻度・高い質が求められます。それをオンラインで行うというところが難しくも有り、新しいチャレンジだと思っています。

顧客が予算を預けてくださり、プロモーションをお手伝いしているのはこれまでのディレクションや運用組織と変わりありませんでしたが、一つのミスに対して温度感が全然違い、フロントに立つという責任を改めて感じましたね。

今までは広告の配信や予算管理など、実行することがメインミッションの組織をいくつか経験してきました。営業から依頼されたことを正確にスピーディーに実行する。ということが求められていたものが、直接フロントに立ってディレクションをする立場になって自発的にお客様の課題を見つけ、その解決を提案するということが求められるようになりました。
今まで営業から無茶苦茶なオーダーを受けて、腹立つなー!って思ってたのが今ではその大変さが理解できますからね。(笑)

−第一線で活躍する為のアドバイス、そしてこれからの目標を教えてください。

自分でそういってもらえるイメージがあまりないのですが、心掛けている一つ目は
目の前の仕事を愚直に頑張らないといけない。大きな志や野心を持ってるのはとても素敵なことですが、意外とそういう部分を会社は見てくれています。
二つ目は自分を売り込むっていうことを大切にして来たきがします。(笑)
抜擢文化が強いから経営会議とかに議題であがった時に自分の名前や顔がでるかどうか。
これだけの規模の会社なので、通常の業務以外でどういう貢献をしてきたか。
全社横断のprojectがあれば真っ先に手を挙げて参画してきましたし、これからもそういった事業以外の貢献を大切にしていきたいと思っています。

僕たちがCyberACEと一緒に目指しているビジョンは「業界地図を変える」という合言葉です。
その中で沖縄が何が出来ればいいのか?今挑戦している「地方からオンラインでディレクション・プランニングする」という新しい可能性、それが普通になる未来も創りたいです。
ビジョンが明確なので僕はそれを組織、チームや個人に浸透させそれが掛け算のように組織力になっていくんだと思います。

そしてアカウントプランナーという職種はマーケティング知識、広告を一番学べると思っています。
今も少しずつ当たり前にはなってきていますが、直接お会いしてプランニングする、ご提案するということ自体が意味をなさなくなっていき、今後はオンラインがメインの市場に変わっていくと思っています。
そういった市場の中で戦えるアカウントプランナーという新しい価値・ポジションのメンバーをどんどん排出できるように、引き続きワンチームで大きな未来を実現していこうと思います。

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